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地殻変動後をどう生きるのか――ポケモン石原社長が問うもの

2012年04月05日
YAHOOに出ていたトピック

概要
株ポケは、「POKEMON with YOU」という活動を通して東日本大震災の支援活動を発展させるというもの。

内容は、
2011年6月から被災地の復興支援を目的としたチャリティーグッズを販売。
同7月からは「POKEMON with YOUツアー」として被災地をはじめ東北の地を訪問。
今春からは「POKEMON with YOU ワゴン」による訪問活動も実施。
2011年12月4日には、宮城県・仙台市にオフィシャルショップである「ポケモンセンタートウホク」をオープン。

などとなっている。

被災地に元気を届けたいという思いが込められているようですね。

ピカチュウが子供たちの心のケアに一役かったというところ、キャラクターの力を感じます。



この記事の残念な所は、利益還元はどのような状況なのか記述が無いですね。

これでは、話題性のある所に出店しビジネスチャンスをGETした、したたかな面もぬぐえません。






リンク切れ用、コピペ

長いので続きに記載
(チャリティとしての重要部は赤字表記にしました)
地殻変動後をどう生きるのか――ポケモン石原社長が問うもの
nikkei TRENDYnet 3月29日(木)11時5分配信


2011年12月4日、ポケモンセンタートウホクをオープンさせた「株式会社ポケモン」。「こどもたちが明日に向かって夢や希望を抱いて過ごせる日が来るまで」の長期にわたる継続的な支援を謳う同社の社長、石原恒和氏に、支援について、そして震災後をどう...

 世界中の子どもたちを夢中にさせてきたポケットモンスター=ポケモン。そのライセンス管理事業を中心に、ゲームソフト事業や店舗運営事業、カードゲーム事業、ライセンス管理事業、アニメ・映画事業などを一手に担うのが、「株式会社ポケモン」だ。


 現在、ポケモンは「POKEMON with YOU」という支援活動を行っている。東日本大震災直後からのさまざまな被災地支援活動を発展させ、「こどもたちが明日に向かって夢や希望を抱いて過ごせる日が来るまで」の長期にわたる継続的な支援を謳う。実際に、2011年6月から被災地の復興支援を目的としたチャリティーグッズを販売。同7月からは「POKEMON with YOUツアー」として被災地をはじめ東北の地を訪れ、今春からは「POKEMON with YOU ワゴン」による訪問活動も実施。また2011年12月4日には、宮城県・仙台市にオフィシャルショップである「ポケモンセンタートウホク」をオープン。その活動は多岐にわたる。

 こうした活動を推進してきたポケモンの社長、石原恒和氏は、ポケットモンスターが企画され、つくりだされ、商品として世に出てから、ずっと育て続けてきた人物だ。同時にポケモンの人気を支える子どもたちとも、常に向き合う立場でもある。そんな石原氏だからこそ、東日本大震災を機に、ポケモンの存在意義そのものを問い続けてきた。

 石原氏は今、支援活動について、そして「震災後」についてどうとらえているのか。話を聞いた。

支援はタイムリーでなければならない

──東日本大震災当日、どこで何をしていましたか?

ポケモン 石原恒和社長(以下、石原): 地震発生時、本社の会議室で15名程度が集まっての開発会議をしていました。当然、打ち合わせは中断。少し収まっても余震は続き、オフィスのある森タワーは、制震構造により地震による揺れは低減しているはずながら、長時間にわたり船に乗っているような揺れが続きました。 まず社員の安否確認をしながら避難の是非などを検討し、現状把握を行いました。現在、このオフィスだけで140名程度の社員がいますが、関連する会社、直接仕事をする会社などを含めると都内全体でスタッフは300人程度になります。そこで、震源地・災害地の情報を集め、その地域におけるスタッフおよびスタッフの家族や親族の有無と、安否確認の可否を確認しました。

──支援活動も早かったと思いますが、すぐに行動に移せたのでしょうか?

石原: 被災地で何が起きていいるのか、何に困っているのかということは、すぐに考えましたね。それに対してポケモンという会社ができることが何かについても。 まずしたのは、やはり、日本赤十字社を通じての義援金の寄付です。 次に“ポケモンにできること“を考え、被災地のために動きたいと積極的に手を挙げる社員がすぐに出てきたので、彼らを中心に話し合い、“ポケモンが一番にできる支援は、被災地の子どもたちに対しての支援だ”と考えたんです。 ただ、震災直後は水や毛布など生活物資の要望に応えることになりましたし、例えばトイレットペーパーが足りない場所で、物資の中にポケモンのぬいぐるみが混ざっていても、「ぬいぐるみよりもトイレットペーパーを」という話にもなるんですね。あるいは、支援活動を行いたいからと現地に駆けつけたところで、かえって邪魔になってしまうこともあると分かった。現地の声に応えていくということの難しさを感じたこともありました。 しかし、生活物資に対して、状況が改善されてくると、「子どもたちのために、文房具など学習支援のための道具がほしい」という声が挙がってくる。これに対して、ポケモンとして、生活雑貨や学習道具などを供給することになりました。これは、支援はタイムリーでなければならないと実感した瞬間でもありました。 支援する側は、思い込みで行動してしまこともある。現地の人は、すでに被災地という呼び方にも違和感を感じているのかもしれない。ところが東京にいて支援を考えると、そのことがわからなかったりする。その齟齬は、現地で人と人とのつながりを築き、コミュニケーションをとることで、解決していくしかないと思いました。

──そうして始まった支援活動が「POKEMON with YOU」になるわけですね。

石原: そうですね。例えば、これまでずっと定期的にやってきた「ポケモンスマイルスクール」という、全国の幼稚園・保育園をピカチュウが訪れ、遊びを通して友情や思いやりの大切さを学んでもらうための活動。これを2011年9月から、被災地向けの開催にシフトし、続けています。

長く支援を続けるなら、現地に拠点を置くべきと考えた

──2011年12月にはポケモンセンタートウホクを仙台にオープンされています。これは震災以前から、計画されていたことなのですか?

石原: 震災前からの計画ではありません。もちろん、仙台は、我々にとっても次にポケモンセンターを出店する際の候補地としては挙がっていましたが、実際のオープンについては、震災を受け、継続的な支援活動をしていくために、決めたことです。 被災地支援をいろんな機関を通さずに、ダイレクトにはじめた当初、私たちは東京と現地を行ったり来たりしていました。しかし、2、3日現地にいて、また東京に戻ってという体制だと、支援する側が息切れしてしまうと感じた。長く支援を続けるなら、現地に拠点を置くべきだと痛感したんですね。 その拠点づくりのために、ポケモンセンターの出店を決めたわけです。これにより、地域の人たち、特に子どもたちに元気になってもらえるような場所が提供できますから。

──いつ頃決められたんですか?

石原: 5月頃までは支援活動についても、模索状態でしたね。だからまずは、現地のメディアに近いところで調査していくことにしました。 そこで、子どもたちに届けられるメッセージとして、東日本大震災の被災地の子どもたちのために、5月5日「こどもの日」の朝刊で、センター見開き表裏4ページを利用したカラーの紙面企画を実施することになりました。これは、片面には600種類以上のポケモンをデザイン。片面には、説明に従って折れば「ピカチュウかぶと」ができ上がるという作りのもの。掲載は東北の地方紙(デーリー東北、岩手日報、河北新報、福島民報、福島民友)と読売新聞の該当エリアだけとしました。 これを機に、地元で少しずつ、メディアともつながることができるようになり、拠点の候補地を仙台に絞ることができた。それから地元とのつながりの中で、我々の活動を評価してくださる企業も現れ、仙台アエル(AER)にポケモンセンタートウホクをオープンする話を、急ピッチで進めることができたんです。6、7月にスタートした話でしたが、とにかく年内にはオープンさせたかった。だから、普通なら1年はかかる準備期間をグッと縮めるために力を尽くしました。

──実際に仙台に拠点を置いたからこそ、感じられることはありましたか?

石原: 仙台に腰をすえることで、落ち着いた取り組みができるようになりました。これにより、力を貸すのではなく、「一緒に元気になって発展していく」という視点ができるんです。つまり、ポケモンセンタートウホクで、利益を上げ、その利益をさまざまな支援活動に還元するという仕掛けが成立して初めて、自立的支援ができているという実感が持てるようになる。だからこそ、ポケモンセンタートウホクは施工も運営も、そして支援活動も、現地の企業や現地で採用した人を中心に進めることにしました。 また、現地で子どもたちと接するうちに、最初こそ物理的支援が喜ばれますが、徐々に子どもの心のケアの重要性が浮かび上がってくるようになったんです。例えば、ピカチュウの着ぐるみが現地に赴き、子どもたちと手をつなぐ。そのことで、子どもたちが得られるものは、物資以上の何かがあると痛感しました。 もちろん、震災でご両親を亡くされたお子さんが、これから生活をしていく上で彼らが保護されていくことも大切です。しかし、娯楽もなく、ましてや親御さんと会話を交わすこともできない中で、何を楽しみにしていったらいいのか……そこに、ポケモンが役に立てることがあると感じました。

──子どもたちの中におけるポケモンの意味を新しく見出す瞬間もありましたか?

石原: ポケモンセンタートウホクのオープン日前日、2011年12月3日に、オープンに先立ち、あしなが育英会の協力のもと、東日本大震災により孤児となった子どもたちを招いて楽しく遊べる企画を実施しました。企画は、招待した子どもたちに買い物券をプレゼントし、新店舗での買い物や関連グッズを使った遊び、ポケモンとの記念撮影などが楽しめるというもの。すると当日、それまでは、あしなが育英会の担当の(大人の)方の手をずっと放せず、背中にしがみついているような状態だった子どもが、お店の中を走り回り、これがほしい、と主張してくれた、自分ひとりで動いているところを初めて見た、という話を聞くことができたんです。 それはある意味、その子どもが一歩前に進むために、ちょっとは役立ったということなのではないかと思いました。

ポケモンの存在意義を自分たち自身に問い続けた

──一方で、支援以外の通常の業務や事業に関しては、どう考えていましたか?

石原: 正直なところ、支援活動はすぐに動き出すことができたものの、弊社の業務や事業が継続可能かどうかという部分は、あらゆる面から考えさせられました。 物理的な問題も大きかった。ポケモンのゲームソフトなどさまざまな開発の拠点は東京にあります。開発を手がける拠点が計画停電の影響を受けてれば、サーバーが落ちる事態にも至ります。それでも開発拠点がすべて東京にあっていいのか。関西に移転すべきか。一部のみ移転すればいいのか……今でこそこれはナンセンスな話ですが、2011年5月頃は、神戸にオフィスを構えるなど、具体的な案も挙がったほどです。 しかしそうした問題を乗り越え、支援活動を進める中で、自分たちの存在意義を問い続けました。そもそも生活必需品を扱っているわけではないから、ポケモンという会社の売り上げは、ゼロになってもおかしくない。しかし、1年が経ち、結果はそうではないと分かった。ポケモンに関して、売り上げはゼロにはならなかったんです。単純な視点ではありますが、私たちは、最低限、今の数字が示すだけの評価はされている。自分たちがこれまでに築いてきたものは、今後も存続していいんだと実感できました。これは、ある種の自信につながったと思います。

──それでは、震災以降の1年間で、どのような変化が起きてきていると思いますか?

石原: 「絆」という言葉がキーワードになったのがこの1年でしたよね。「絆」は目指すべき一つのつながり方としては分かりやすかったけれど、私にとってはあまりにも抽象的過ぎました。「絆」のために具体的にどんなアクションを起こせるのかということが、分からなかったんです。 だから私は今年、「地殻変動後をどう生きるのか」というテーマを社員たちに投げかけました。 これは今、最もアクチュアルな問題です。実際に地殻変動が起きて、大震災が起きたという物理的な問題ではなく、これまで揺ぎない思っていたものが全部揺らいでしまった。その現実を受けて、今後、自分たちは何にフォーカスして行動できるのか。絶対的だと思っていたものの大半は、相対化されてしまっています。安全神話も崩壊し、磐石だと思っていたものが磐石ではなかったという事実に、誰もが気づいている。それが地殻変動後の日本の社会だと思うんですね。 では、今でも揺るぎないと思えるものはなんだろうか。それを考えたときに私たちの中で浮かんできたのは、「子どものまっすぐな好奇心や、笑顔、喜び」でした。 東日本大震災という地殻変動後、今起きている事象が表層的な変化なのか、本質的な変化なのかを、誰もが理解し、判断できるようになってきたと思います。これは、大きな収穫なのではないでしょうか。その上で私たちは、自分たちが本質的に重要だと思えることをやらなければならない。ますますそう思うようになりましたね。

ポケモン 石原恒和氏の〈絆〉の次に来るもの「絆から“地殻変動後をどう生きるか“へ」

 絆という言葉により、感覚的、感情的、精神的なところに重きを置きすぎる傾向があるように思います。しかし、これからテーマにすべきことは、地殻変動後の世界をどう生きるかということだと思います。今後もまだ、地殻変動は起きるのかもしれません。その中で、生き物本来の強さをどう表現していくか。そのほうが、絆という抽象的な言葉より、実際的なものと感じています。 例えば支援。実際的なこととは、いかに地べたで、どれだけの数の人に出会い、サポートできるかということや、“ちょっとのお手伝い”の量をどれだけ増やすことができるかにかかっています。しかし一方では、もっと効率のいいグッドアイデアがあるのではないかということを練っていくのが、地殻変動後なんです。 精神的、感覚的な部分で自己満足に陥らないように、具体的な行動のアイデアをいくつ出せるかということ。それを強く考えています。




―ポケモン 石原 恒和(いしはら・つねかず)社長―
1957年三重県鳥羽市に生まれ。筑波大学大学院芸術研究科修了。ゲームプロデューサーとして数々のゲームソフト開発に携わり、1995年クリーチャーズ設立。1996年全ポケモン関連商品の原点となった「ポケットモンスター 赤・緑」をプロデュース。その後、ポケモンソフト全作品にプロデューサーとして携わる。1998年、ポケモンセンター(現・ポケモン)設立と同時に代表取締役社長に就任。現在はゲーム、カードゲーム、テレビアニメ、劇場映画、などポケモン全体のブランドマネジメントを手がける
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